蓮華寺について

蓮華寺について

蓮華寺について

ご挨拶

持名山蓮華寺のホームページをご覧頂ありがとうございます。
雄大な富士山の麓、富士河口湖町にあるお寺で、歴史は古く山梨県郡内地方最古を誇ります。元々真言宗のお寺でしたが弘安5年(1282)9月12日に宗祖が河口御一泊の砌、教化を受けて日蓮宗に改宗し、以来730年連綿と法灯を継承しています。

日蓮聖人が説く、お釈迦さまの功徳が集約された「お題目」の世界を少しでも多くの方にお伝えし、皆様の心の安泰に少しでも役に立つことを使命としております。共に唱え、共に世の安泰を願いましょう。
合掌

住職 八須一成

住職

蓮華寺の由緒

蓮華寺の由緒

大寶年中(701年~)役ノ小角、富士山の小室(現 御室)に大日如来及び四金剛童子を安置し、大日往生寺と号した、そして大原村(現 大嵐)の檀の山(現 足和田山)に行場を構え(蓮華寺奥の院と号す、礎石現存せり)修験の法を修したと伝わる。これにより檀の山から小室までの道筋を道者道という。
(修験道時代)
大同四年(809年)弘法大師空海、富士山に登り、往生寺の大日如来及び四金剛童子を拝し、深山、殊に人家が無い事を憂い、大原村に移し、一宇を建立し、大同山御堂寺と号した。(真言宗時代)
弘安五年(1282年)9月8日、宗祖日蓮大聖人、常陸(茨城県)の温泉にて療養をするため身延山を出立し、武州(東京都)池上への通行の砌、9月12日、川口村(現 富士河口湖町河口)御師の家、上之坊(本庄家・屋号は梅屋)に一泊、上之坊の主人、采女(うねめ)は浅間社の神官をしていたが宗祖の教えに触れ、信仰を法華経に改め、兄弟である御堂寺の住僧、法玄律師の教化を願い出た、宗祖それに答え、翌日御堂寺を訪れ、問答教化数回、遂に法玄律師は法華経に帰伏、名を日領、寺号を持名山蓮華寺と改授されたと伝えられる。(この関係により寺紋は丸に梅鉢)

宗祖日蓮大聖人は弘安五年(1282年)10月13日池上に於いて御入滅、開祖日領は同年11月に示寂、これより二世、三世、四世この間応永の兵乱により大いに荒れ、古文書、什物等を紛失、山崩れにより境内が埋まり廃寺の危機に陥るも、真如院日了なるもの宗祖の旧跡を再建せんと康正二年(1456年)2月蓮華寺を現在の地に移し、本堂及び庫裡等を建立し、五世となる、この日了を中興開山と仰ぐ。
蓮華寺は、弘安五年(1282年)の改宗より本寺を持たない独立した寺であったが、延宝六年(1679年)十九世本行院日従代、依願して身延山直末となり、本堂、庫裡、鐘楼堂、七面堂、番神堂、宝蔵、塔中五坊、三門等の伽藍を誇っていたが、天保十一年(1840年)12月26日、大嵐の大火により、本堂、庫裡、鐘楼堂、七面堂、三門、塔中五坊中四坊を消失、わずかに宝蔵と番神堂を残す。現在の建物は、嘉永元年(1848年)10月梅谷の建物を移築して庫裡を再建、嘉永六年(1853年)本堂と鐘楼堂を再建、七面堂は本堂に合詞された。文政六年(1832年)日朝堂を建立、昭和五十六年日蓮大聖人七〇〇遠忌の報恩事業として三門を再建した。

寺賓

准宗賓

身延山歴代法主曼荼羅御本尊
27幅

町指定文化財

釈迦牟尼仏座像
嘉禄元年(1225)12月15日
多寶如来座像
貞享元年(1684)11月15日
四天王立像
(増長天)
享禄2年(1530)9月吉日
(毘沙門天)
享禄2年(1530)9月吉日
(持国天)
天文10年(1541)長月24日
(増長天)
貞享元年(1684)12月

その他

身延山歴代法主曼荼羅御本尊
25幅
持名山歴代曼荼羅御本尊
20幅

県指定文化財

鰐口

南都留郡富士河口湖町蓮華寺所有

昭和57年7月15日 山梨県指定文化財

面径:34.5cm 厚さ:10cm

京(享)禄元年戌子霜月吉日の銘あり

紀元1529年

※右旨趣者信心大施主息災安穏心中所願

成就皆令満足処如件

奉寄附浅間大菩薩御宝前鰐口之事

遠江州豊田郡嶋 郷住旦那源長家等

県立博物館委託

盾